私が尊敬する動物トレーナーの一人、故アンディ島田氏はこう言った。「犬を擬人化するのではなく、自分を擬犬化するのだ。」
こういう話になる時にイメージするのは大抵、野生の犬の群れでなく、オオカミが対象となる。イヌはオオカミの子孫だから、人とかかわりあう以前の群れの論理はオオカミに学ぶべきだという理屈である。しかし最近は、そもそもイヌとオオカミは別に進化してきた別物であり、この理屈はおかしいという話もある。昔気質の動物トレーナーが、暴力と強制を正当化するために持ち出した比喩なのではないかという論調である。
どちらにも一理あるが、どちらかが全く間違いだとも言い切れない。例えるなら、かつて胃潰瘍は精神的ストレスの病気だと言われていた。ストレスがそもそも胃を荒らすし、それに伴う暴飲暴食や寝不足などが根本原因だと。それがある時、ピロリ菌が発見された。間もなくその菌を直接やっつける薬も開発された。現在は、ピロリ菌がまた猛威を振るわないように、ストレスや暴飲暴食に気をつけましょうと。じゃあ結局予防法は同じじゃないかという理屈だ。この例えは分かりづらいだろうか。
切り口を変えよう。かつては猿山の研究で、サルの権力構造が人間、特に政治家そっくりだという観察結果が出た。そしてその後、いや、あれは人間が餌付けしたという特殊環境で、いかに強い個体が人間から効率よく餌をもらうかという限定的な研究であるという事実が明らかになった。本来の山のサルを調べたら、実はもっとおおらかに暮らしていることが判明したのである。…という流れがあった。
何が言いたいかお分かりいただけるだろうか。私の仮説では、オオカミは山のサル並みにおおらかに暮らしているが、犬は人間が餌付けしているのだから猿山のサルと同じ権力構造に引っ張られている生き物だということ。だからむしろ、オオカミ以上に権力に敏感なのではないかということだ。
もう一つ例をあげるなら、タカとハヤブサはかなり近縁だと考えられてきた。しかし、ハヤブサはむしろインコやスズメの方に近いと判明した。しかし習性はタカに近い。別の種なのに似た進化の仕方をすることを、収斂進化(しゅうれんしんか)と呼ぶそうだ。だから、ハヤブサの飼育や訓練方法を学ぶには、インコより鷹が参考になる。進化というのは大げさだが、犬もオオカミも人が飼えば主従関係が発生するのは間違いないだろう。
さらに言うならば、自分の主張のみが正しい、という姿勢こそが人間の権力構造の源であり、敵を求めてかみつく犬勢症候群に似てはいないだろうか。鶏が先か卵が先か、ならぬ、人が先か、犬が先かである。それほど犬と人との関係は切っても切れない。
で、最終的に私が主張したいのは、「昔のトレーナーは妄信的にオオカミの話を持ち出して、今の時代に、おっくれてるぅ~」と簡単に思い込んでほしくないということだ。
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