• 世の中には、耳障りの良い話というのがある。

    「らくらく英語マスター」、「たったこれだけで痩せられる奇跡のナントカ」

    英語の習得や、ダイエット法、自己啓発。かくいう私も英語学習の本はつい手に取ってしまうし、自己啓発書は大好きだ。しかし、その自己啓発書で例にされがちなのが、表題の件である。

     

    ゾウは本来、調教師より強い上に、その繋がれている鎖さえ断ち切るパワーを持っているんだ。でも、小さい頃から自分は弱いと教え込まれて、足につながれた鎖を断ち切るどころか、自分でその鎖を運ばされているんだよ。君も同じだ。本当は無限の可能性があるんだ。ほら、見えない鎖に縛られてないかい?

     

    こういうことを書くと好感度が下がるのは分かっている。しかし、訓練手法の是非は別にして、ゾウの例えはあんまりではないか?

    お相撲さんは、普通の人より何倍も強く頑丈で、普通の家のガラス窓くらいは割れる力を持っているんだ。でも、親方は絶対だとされ、逆らうことなく大人数の部屋で暮らしているんだ。君もお相撲さんみたいになっていないか?

     

    など、同じ論法ならなんでもそうで、それをゾウで例えられては、きちんと躾けた善良な訓練士さえ否定されてしまう。繰り返すが、訓練手法は別だ。これがジャーマン=シェパードならむしろ美談になるはずだ。警察犬は、子供なら噛み〇すくらいの戦闘力はあるが、初めて会った子供にも頭をなでさせるほど寛容でおとなしく訓練されている。だからといって、自分が子供より弱い存在だという認識があるとは思えない。

     

    また聞きではあるが、昔は海外でも身の丈3m近いシロクマを、それも複数等で扱うサーカスがあった。彼らの言い分は、「シロクマたちは、私より自分の方が強いということは分かっていると思う。」とのことだったそうだ。知人が、というかこれも堤秀世さんなのだが(笑)、安全のために口輪をつけたりはしないのかと質問したところ、「とても。怖くてはめられない。」との返答だったとか。

     

    私の主張は以上である。だからといって、その種の自己啓発本にクレームのお手紙をだすとかいう話ではない。からね?みんな、わかってるよね?

  • 私が尊敬する動物トレーナーの一人、故アンディ島田氏はこう言った。「犬を擬人化するのではなく、自分を擬犬化するのだ。」

    こういう話になる時にイメージするのは大抵、野生の犬の群れでなく、オオカミが対象となる。イヌはオオカミの子孫だから、人とかかわりあう以前の群れの論理はオオカミに学ぶべきだという理屈である。しかし最近は、そもそもイヌとオオカミは別に進化してきた別物であり、この理屈はおかしいという話もある。昔気質の動物トレーナーが、暴力と強制を正当化するために持ち出した比喩なのではないかという論調である。

    どちらにも一理あるが、どちらかが全く間違いだとも言い切れない。例えるなら、かつて胃潰瘍は精神的ストレスの病気だと言われていた。ストレスがそもそも胃を荒らすし、それに伴う暴飲暴食や寝不足などが根本原因だと。それがある時、ピロリ菌が発見された。間もなくその菌を直接やっつける薬も開発された。現在は、ピロリ菌がまた猛威を振るわないように、ストレスや暴飲暴食に気をつけましょうと。じゃあ結局予防法は同じじゃないかという理屈だ。この例えは分かりづらいだろうか。

    切り口を変えよう。かつては猿山の研究で、サルの権力構造が人間、特に政治家そっくりだという観察結果が出た。そしてその後、いや、あれは人間が餌付けしたという特殊環境で、いかに強い個体が人間から効率よく餌をもらうかという限定的な研究であるという事実が明らかになった。本来の山のサルを調べたら、実はもっとおおらかに暮らしていることが判明したのである。…という流れがあった。

    何が言いたいかお分かりいただけるだろうか。私の仮説では、オオカミは山のサル並みにおおらかに暮らしているが、犬は人間が餌付けしているのだから猿山のサルと同じ権力構造に引っ張られている生き物だということ。だからむしろ、オオカミ以上に権力に敏感なのではないかということだ。

    もう一つ例をあげるなら、タカとハヤブサはかなり近縁だと考えられてきた。しかし、ハヤブサはむしろインコやスズメの方に近いと判明した。しかし習性はタカに近い。別の種なのに似た進化の仕方をすることを、収斂進化(しゅうれんしんか)と呼ぶそうだ。だから、ハヤブサの飼育や訓練方法を学ぶには、インコより鷹が参考になる。進化というのは大げさだが、犬もオオカミも人が飼えば主従関係が発生するのは間違いないだろう。

    さらに言うならば、自分の主張のみが正しい、という姿勢こそが人間の権力構造の源であり、敵を求めてかみつく犬勢症候群に似てはいないだろうか。鶏が先か卵が先か、ならぬ、人が先か、犬が先かである。それほど犬と人との関係は切っても切れない。

    で、最終的に私が主張したいのは、「昔のトレーナーは妄信的にオオカミの話を持ち出して、今の時代に、おっくれてるぅ~」と簡単に思い込んでほしくないということだ。

  • 動物トレーニング業界の大先輩に、堤秀世さんという人がいる。日本のチンパンジーショーの第一人者にして、伊豆シャボテン公園の名誉園長。今はショー現役から引退されていて、北海道で動物専門学校の講師をなさっているとか。若い頃の私には、目標となった憧れの動物トレーナー。狭い業界、というかますます狭くなる業界の中では、もはや盟友。と言ったらご本人に失礼だろうか。

    私より20歳以上も年上の大御所だが、今だに勉強家であり、私なんぞにもたまに連絡をくださる。その堤さんが、未だに成し遂げていないライフワークがある。それが、動物トレーニング用語集の完成という大仕事。確か、25年前にはすでにその構想をお聞きしていたと思う。

    私の情報網では、あいうえお順でスタートするとして、一つ目の用語を書きかけている最中というところから、その後の音沙汰がない。実は、その用語集の最初の用語が表題の「あ’’」なのである。のっけから50音にない表記と発音。これが堤さんの天才たるゆえんである。

    子曰く、「一番根源的な警告音」らしい。これは私にもよくわかる。犬を叱る時は、低い声が効果的だといわれる。「あー」っと、高い声でテンション高く言うと、向こうは「褒められた、気を引けた」と受け取ってしまい逆効果になる。だから低く、短く、威厳をもって「あ’’!」というのが正解。

    ちなみに、チンパンジーの威嚇音は「お’’っ」となる。文字で表現するにも限界があるが、なんとなくおわかりいただけるだろうか。イヌの警戒・威嚇音は「う’’ーっ」だ。全て、低く、のどのあたりを閉めて小さく共鳴させるような音であるのが特徴的だ。

    動物は、大人になるにつれて声が低くなる傾向にある。また、声が大きいということは音を響かせるオルゴール箱としての体格が大きいことを表すので、ペンギンなども声が大きい方がモテるそうだ。大声が大勢を惹きつける武器なのに対して、威嚇音、警告音は目の前の至近距離の個体を対象とするのだから、大きさより低さと瞬発力の「迫力」が大事。

    と、まあ私でも「あ’’」にまつわる話題はつきないのだから、堤さんをお察しするにはあまりある。この用語を辞書風に客観的に表現できる日がやってくるのを、私はあきらめず待っている。